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東京高等裁判所 昭和61年(ネ)2274号 判決 1987年5月27日

控訴人 (原告) 横山伸男 外二名

訴訟代理人 寺尾正二

被控訴人 (被告) 横山一男 外三名

訴訟代理人 神山博之

主文

1  原判決を取り消す。

2  原判決別紙亡横山松永名義の遺言状記載の遺言は無効であることを確認する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

第一申立て

一  控訴人ら

主文と同旨

二  被控訴人ら

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二請求原因

1  控訴人ら及び被控訴人らは、原判決別紙相続関係一覧表記載のとおりの身分関係にあり、いずれも亡横山松永(以下「松永」という。)の相続人であるところ、被控訴人らは、控訴人らに対し原判決別紙亡横山松永名義の遺言状(乙第二〇号証、以下「本件遺言状」という。)記載の遺言(以下「本件遺言」という。)が有効であると主張している。

2  しかしながら、本件遺言状には自筆証書遺言の法定要件である松永の押印がないから、本件遺言は無効である。

かりに本件遺言状の松永名下の指印影らしきものが松永の指印影であるとしても、指印は民法九六八条一項にいう「印」に当らないから、本件遺言は無効である。

口述型遺言の一つである危急時遺言は、死亡の危急に迫つた場合に慌ただしく作成されるのが常であるから、方式を多少とも緩和することはよいとしても、この理を書面の記載を中心とする書面型遺言の典型である自筆証書遺言にまで拡張することはできない。

本件遺言状は、家庭裁判所の検認手続前に利害関係人によつて開披されているから、右指印影らしきものを松永の指印によるものとすることはできない。今となつては、これが松永の指印影であることを確認する方法はない。

3  よつて、控訴人らは、被控訴人らとの間において本件遺言が無効であることの確認を求める。

第三請求原因に対する答弁

1  請求原因事実1を認める。同2のうち本件遺言状に印顆による押印のないことは認め、その余を否認し争う。

2  本件遺言状は、松永がその意思に基づいて作成したものであるところ、自筆証書による遺言に遺言者の印顆が押されていなくとも、その拇印ないし指印が押されていれば足りると解すべきであり、本件遺言状の松永名下に同人の拇印ないし指印が押されているから、本件遺言は有効である。

遺言において、氏名の自書は、遺言者を明らかにすること及びその遺言が遺言者の意思によるものであることを明確にするために必要とされ、押印は、氏名の自書と同一の機能のほか、遺言者が遺言を自書し正式の遺言書とする意思のあつたことを担保する機能を持ち、その真意の確認手段としては第二次的なものである。このように、押印が氏名の自書と同一機能を果たすにすぎないため、自筆証書遺言において氏名のほかに押印を必要とする要件は緩和されるべきである。

拇印は、古くから我国の慣行上、印そのものないしはそれと同等の役割を果たしてきており、同一性の識別機能面からは実印以上ともいうべきものであるから、拇印があれば押印の要件を充たしているというべきであり、指印も拇印と同様である。

第四証拠の関係は、原審及び当審記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一1  控訴人らと被控訴人らとの身分関係が原判決別紙相続関係一覧表記載のとおりで、いずれも松永の相続人であること、本件遺言状(乙第二〇号証)は、原判決別紙のとおりの様式、内容の松永名義の遺言状であること、本件遺言状に印顆による印影がないこと、被控訴人らが本件遺言が有効であると主張していることは当事者間に争いがなく、乙第二〇号証、成立に争いのない同第一六号証によれば、本件遺言状は毛筆で記載され、末尾の松永名下には墨を使つて顕出された指紋(どの指によるものか判然としない。)と認められる小さな紋様(墨のつけすぎにより一部黒く塗りつぶされている。)(以下、本件指印影という。)のあることが認められる。

2  本件遺言状が作成されるに至つた経緯等は、次のとおり付加、訂正するほかは原判決理由中原判決三丁裏三行目から六丁裏二行目までと同一であるから、これをここに引用する。

(一)  原判決三丁裏五行目の「証人」の前に「被控訴人横山一男本人尋問の結果により成立を認めうる乙第二三号証の一ないし八、」を加え、同六行目の「これら」から同九行目の「八」までを「被控訴人横山一男本人尋問の結果によつて松永が自書したと認められる乙第二一号証の一、二、同第二二号証の一ないし三二、同第二三号証の一ないし八の筆跡と乙第一九号証の一、二、乙第二〇号証の筆跡とは、筆跡自体及び同本人尋問の結果により同一と認められること」と改める。

(二)  同三丁裏一〇行目から同四丁表一行目にかけての1、2を全部削り、同四丁表二行目の「3」を「1」と改め、以下同様同表の「4」ないし同六丁表の「10」を「2」ないし「8」に順次繰り上げ訂正する。

(三)  同四丁裏一二行目の「書き」から同一三行目末尾までを「本件遺言状(乙第二〇号証)を自書し、右封筒にこれを入れて封をした。なお右封筒の表には「遺言状」と裏には「横山松永」と各記載した(乙第一九号証の一、二)。」と改め、同五丁裏一行目の「直後、」の次に「右金庫からこれを取出し、」を加え、同六丁表八行目の「以後」から同九行目の末尾までを「本件遺言状を自宅に保管していたが、昭和五七年五月控訴人らから遺産分割調停の申立てがあつたのでその調停の席上で既に開披されていた本件遺言状を提出し、昭和五八年四月家庭裁判所に本件遺言状の検認を請求し、検認を経た。」と、同表末行の「であり、」から同裏二行目末尾までを「であつた。同人は、以前小学校で教員をし、校長をもつとめた。」と各改め、同二行目の次に「以上認定を左右するに足りる証拠はない。」を加える。

3  以上の事実によれば、本件遺言状は、松永がその全文、日附、氏名を自署して作成した(指印押捺の点を除く。)自筆証書遺言ということができる。

4(一)  わが国では、一般に重要な文書の作成については、署名したうえさらにその名下に印顆を押すことによつて文書作成を完結したとする法意識ないし慣行があり、印顆押捺を重視する傾向が強く、法も、自筆証書遺言という遺言者にとつて自己の生涯の財産を最終処分する重要な文書の作成につき厳格な要式を定め、遺言者は、その全文、日附及び氏名を自書するのみならず、その印顆を押さなければならないとしているのであつて、これは、遺言者にその真意に基づいて慎重に遺言をさせ、かつは、遺言者の死後遺言がその真意に基づくものであることを確認しえ、のちに無用の紛争を生じさせないようにし、もつて遺言の真正を保障しようとしたものと解される。もつとも時代の変遷により日常の社会生活のなかにおいて押印の持つ重みは徐々に失われてきてはいるが、しかし遺言という終意処分の重要性を考えれば、自筆証書遺言における押印の持つ重みは現在もなおさほど薄れてはいないと思われる。しかしまた、押印は遺言者の真意確認の手段としては第二次的なものであり、法が要式を求めるのは、それが遺言の真正を保障するためであるから、遺言が筆跡などから遺言者の真意に基づいて作成されたことが明らかなような場合には、押印の要件は緩和すべきであり、さらには押印も不要であるとする見解があるが、しかし押印の要件の緩和が相当であるとしても、押印を欠く遺言も有効であるとすることは法の明文の要求がある以上許されないというべきである(遺言者の押印を欠く自筆証書遺言の効力に関する最三小判昭和四九年一二月二四日・民集二八巻一〇号三四〇頁は、特殊事案についてのもので、右判断はこれに抵触するものではない。)。

(二)  さて本件では、前記のとおり本件遺言状に印顆による印影はないが、その松永名下には指印影があるところ、指印も法の要求する印といえるかどうかゞ本件の争点となつているので、以下この点について判断を加える。

被控訴人らも主張するとおり確かに指印は同一性識別の観点からすれば、これに勝るものはないというべきであるが、しかしわが国には一般に指印影を保存する慣行はなく、しかも遺言の効力が争われる時点では遺言者は既に死亡しているから、遺言状の指印影が遺言者の指印押捺にかゝるものであることを当該指印影によつて確認する方法は通常はなく、指印は、右確認をするについて用を果さないから、印として不適当である(印顆の場合は、通常遺言状の印影が遺言者の押捺にかゝるものであることを印影によつて確認することができるのであつて、この点において印顆と指印とは根本的に相異する。)。被控訴人らは、押印の要件は緩和すべく、指印も印と認めるべきであるというが、印として役立たないものを印として認めるのは、押印を不要とするに等しいからできないことであり、しかもこれを認めるときは、指印影が遺言者の押印にかゝるものかどうかを廻つて紛争が生じやすく、押印を要求して紛争発生を防止しようとする法の趣旨に反する。さらに通常遺言者はいつでも容易に印顆を押すことができるから、さらに印として指印を認めなければならない必要性は乏しく、これらのことを考え合せれば、自筆証書遺言において指印を印と解するのは相当でない。

もつとも指印の場合であつても、対照しうる遺言者の指印影の保存などから遺言書の指印影が遺言者の指印押捺にかゝるものであることを当該指印影によつて確認することができる場合があり、このような場合には、指印をも印に準ずるものと認めて遺言を有効と解する余地はあるが、本件においては、証拠として本件指印影と対照すべき松永の指印影は提出されておらず、その他本件指印影がこれによつて松永の指印押捺にかゝるものであることを確認することのできる証拠は何らないから、指印を印に準ずるものと解する余地もない。

(三)  以上の次第で、本件遺言状は、前述のとおり松永が作成したものであることは認められるが、印影としては松永名下に指印影があるのみであり、これをもつて押印があると解することはできないから、その余の点について判断するまでもなく本件遺言は押印を欠く無効のものというべきである。

二  そうすると、控訴人らの本訴請求は理由があるからこれを認容すべきところ、これと異なり控訴人らの本訴請求を棄却した原判決は失当であつて取消を免れず、本件控訴は理由があるというべきである。

よつて、原判決を取り消し、控訴人らの本訴請求を認容し、民事訴訟法九六条、九三条、八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木弘 裁判官 宇佐見隆男 裁判官 山崎健二)

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